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統合神話学(神魔学)

 「単一の宗教学⊆比較宗教学⊂比較神話学」という集合体の関係であるともみることができると考えられます。

 ある宗教についての研究よりも、宗教を複数比較しているものの方が視野を広く使います。もちろん、1つの宗教を価値づけるために他の宗教を知らなければそれに価値があるかを言うことはできないので、重なり合う関係になります。一方、比較神話学は、複数神話を比べるだけでなく宗教上の伝説や信仰も見ていくので、宗教学よりも広く見ていくため、神話学といっても、神話と称されていないものも扱います。

 つまり、神話学は一口に神話のみならず伝説や物語や哲学など思想の基になる文化があることから、神話学に宗教学は属すると考えられるということです(宗教学⊂神話学)。比較神話学という言葉であっても、前項で述べたように神話だけでなっているのではなく、多くの分野(歴史的、心的、社会的、文学構造的分野)を比較対象にするので、宗教だけでなく、多くの情報と研究を必要とします。

 

 「統合神話学」の目的・理念は、比較神話学のように神話の種をみつけ、普遍的な人類の心理性や思考性をみつけようという視点とは違います。全ての神話学・宗教学的要素を1つのものとして扱い、人類の「物語」としてまとめ上げることであるのです。この目的・理念に向けて複数の神話・宗教等を調査・研究を試みるものなのです。

 

 比較したり積集合的な人間の発想の源・神話の種を抽出したりすることを基本的に目的としません。

 たとえば、旧約聖書の人類によるバベルの塔建設が神の怒りをかい、共通した言語を破壊され複数の言葉が生まれ、その代わりに言葉・民族ごとの文化や争いによる「技術・スキルの急速化」を促した話があります。「もともと一つのものが砕かれ複数に散らばる」という感覚のまさにその反対ということいなります。その散らばった物語や超存在(神魔)を一つの世界観のもと、存在させることを目指します。まさに、逆バベル現象です。

 しかし、必ずしもきれいにまとまるというわけはなく、漏れも多く存在し続けることだと思います。これをいかにして整理していくか、それ自体が研究なのかもしれません。

 

 以上の概念は、比較という行為よりも再配属の処理をすることで統合していくという形をとっており、私はこれを「統合(的)神話学」と呼んでいます。更には、神話ごと宗教ごとではなく、1つの超存在ごとにまとめるため、人を凌駕した超存在(神・悪魔・鬼・妖精・精霊…)を総称して「神魔(しんま・symma)」と表現しており、神話学に属さず独立した学問と考える場合は「神魔学」という表記とします。

 

 どの宗教・神話がよいものであるとか違うところであるというものを明らかにするのではなく、全てが一つの「人類」の紡いだ思想として、1つの世界観として含むことを目指します。

 神話や宗教の伝説等は、全てを1つのものとして受け入れることで、一つの人類が創作した最長最大の物語になるのです。