インド神話と仏教について

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仏教の「天部」はどこから来たのか

<古代インド神話と仏教>

 

~天部とは~

 まず、私はどうして「天部」という言葉に興味を持ったかということからはいりたい。

 仏像には○○菩薩だとか、如来、明王の称号的尊格の他に多くの固有名詞的種類の名前がある。称号的尊格では、如来は仏陀や悟りを得たもの、菩薩はその前段階のもの、明王は如来が何らかの各目的をもって化身し現れた姿であり仏そのもののでもある存在等がある。それに対し「天部」は仏そのものではなく「仏に仕える使徒」である。

 一般に、「天使」というとユダヤ・キリスト・イスラム教世界特有に思われることもあるが、本当は西アジアの古の神話の精霊などが起源であるといわれている説もある。ユダヤ・キリスト・イスラム教と同様の構造で「東方世界の天使」に値するものが「天部衆」であると考えられる。ただし、イスラム教の「天使」は人間より偉いが、神が最初に作った「預言者としてのアダム」には劣るとされている。代表的な天部衆は、「十二天」・「四天王」・「八部衆」である。

 

 「十二天」とは、八方と上下方、陰(月)陽(日)で構成されていいる。北は毘沙門天(四天王でも)、東は帝釈天、南が焔魔天、西が水天。東北は伊舎那天、東南が火天、西南が羅刹天、西北は風天。上方すなわち天は梵天、下方は地天、月の月天、日の日天となっている。

 「四天王」は四方位、特に帝釈天の直属部下として須弥山の東西南北を守護しており、北が多聞天(毘沙門天)、東が持国天、南が増長天、西が広目天である。

 「八部衆」は、阿修羅王・摩侯羅迦王・迦楼羅王・薬叉・乾闥婆王・龍王(沙羯羅王)・緊那羅王・天(五部浄)で構成されている。

 

~古代インド神話と仏教~

 おそらく、仏教はインドから来ているのは知っている人も多い。「天部衆」も大部分は古代インド神話の神々が仏の使いとして、仏教世界のキャラクターとして取り入れられた。

 インドでは、天部は「デーヴァ」と言い、嘗ては世界の精霊全般を指していたと考えられている。そのことからも「天使」の分類の一つの解釈が妥当であることが言える。改めて、仏教とインド神話のキャラクター性を考えてみることにした。

 

~「十二天」と「四天王」について~

十二天

毘沙門天

 多聞天という別名もあるヒマラヤで信仰のガンジス川のワニの神、「クベーラ」又は「ヴァイシュラヴィナ」である。四天王・十二天・七福神と役職が多くワニの神なのに北の山岳を守護しろとブラフマーに言われたとされている。金毘羅もこの神魔とする説もある。武器を持たない時もあれば矛や仏塔を持つ時もある。上杉謙信ともかかわりがあるとされている。眷属は羅刹・夜叉。

帝釈天

 いわゆる元ヤンキーの戦の神雷神「インドラ」。白象に乗り三鉾杵をもった武人。世界の中心須弥山頂上の喜見城にいて、四天王・八部衆を管理しており、嘗て(インド神話では)、鬼神だったアスラ王と仲が悪かった。帰依後、阿修羅王という八部衆の一人として、自分の配下にしたという。経栄山題経寺が信仰名所。

焔魔天

 嘗て天に住んでいた死者の裁判官「ヤマ」、夜摩天とも。閻魔王の姿は仏教が中華文化を経て道教世界観とまじってでき、それまでは、人頭の杖は持っているものの帽子は被らず水牛に乗って表情は柔らかかった。

水天

 水龍・夜のアスラである「ヴァルナ」。亀に乗り龍の縄をもち、眷属には水龍や弁財天(サラスバティ)がいる。

伊舎那天

 破壊の神「シヴァ」であり、七福神の大黒天(大自在天)。嘗て、鬼神で、仏法になかなか帰依せず、その時は額の第三の目、四臂、青黒い肌、憤怒の形相というインド神話での神としての姿をしていた。仏教では、福の神大黒天が仏敵を懲らしめる姿が伊舎那天。

火天

 火焔神「アグニ」で、煩悩を焼き尽くすとされている。曼荼羅では、青羊に乗った仙人で、又二臂や四臂の時もある。

羅刹天

 嘗ての闘鬼「ラークシャサ」で人肉を喰らう魔物。帰依後は白獅子にのった武人の姿で、女性もいる説があり、鬼子母神(ハリティー)の眷属として十羅刹女がいる。

風天

 風神「ヴァ―ユ」。仏教では槍を持ち雲中の鹿(馬なども稀にある)に乗っていて、長寿・子孫繁栄をもたらし、風で煩悩を飛ばすという説がある。

梵天

 真理・生命の源ブラフマンの神格化創造神「ブラフマー」である。欲のない清浄の境地を「梵」があてられている。飛鳥~中世の時代までは、一面二臂で帝釈天インドラと一対が多い。密教ピーク以降は、ガチョウの上の蓮の花に座る四面六臂になった。仏陀が悟りを開いたのにすぐに人に広めようとしなかった時、彼を励まし教えを広げることを勧めたという説もある。イスラム教のムハマドがジブリール(キリスト教のガブリエル)から啓示を広めろという逸話と似ている。

地天

 別名を堅牢地神・持地菩薩である大地の女神(地母神)「プリディヴィー」。成道証明役。男女一対の図像の時もある。

月天

 アスラの一種という説もある「チャンドラ」。グプタ朝のチャンドラグプタとどのような関係があるのかも興味深い。煩悩を消し心の静寂を齎し、七羽のガチョウのひく車に乗った姿。

日天

 太陽神「スーリヤ」。大日如来の徳のスポットライターで、八(又は七)頭立ての馬車をひき日輪を持つ。

 

四天王(北:毘沙門天・多聞天については上記で解説済み)

持国天(東)

 「ドウリタラーシュトラ」という王で、四天王筆頭である「国を支えるもの」をいみし国家護持の利益をもたらす。眷属は乾闥婆(ガンダルヴァ)。

増長天(南)

 「ヴィルーダカ」という成長させるものを意味する。性格的な増長するの意味ではなく、作物を伸ばす意味であり、豊穣を司る。眷属は薬叉の鳩槃茶(クバンダ)。

広目天(西)

 「ヴィルバークシャ」で普通でない目をもつものを意味し、あらゆるものを見渡せ、武器ではなく筆と巻物をもつ。戦の現場よりも情報収集・分析など策略型。眷属は蛇龍(ナーガ)。

 

~「八部衆」について~

①阿修羅王

 鬼神「アスラ」の一族の王をさす。後にデーヴァと対立する闘神のイメージになりインドラに負けて帰依した。仏法の「六道(天・人間・畜生・餓鬼・地獄・修羅)」の終わりなき争いの世界「修羅道」の主であり、海の四方を「毘摩質多羅阿修羅王」「踊躍阿修羅王」「奢婆羅阿修羅王」「羅喉羅阿修羅王」というアスラの王がいる。有名な蓮華王院所蔵の三面六臂の姿は帰依後の姿で、他にも一面六臂・三面八臂などもいて、左手に水晶か日輪、右に鉤か月、剣などの武器を持っていたりと様々だが、もしかしたら阿修羅王が一人ではないからであると考えられる。

➁摩侯羅迦王

 蛇龍の「マホーラガ」楽士。龍ではなく大蛇・蟒蛇。八部衆は中華域で確立したため、蛇と龍に分ける形式ができたのだと考えられる。

③迦楼羅王

 一度ヴィシュヌと闘い敗北後乗り物になった霊鳥「ガルーダ」。人の体に鳥の頭部・翼を持ち、エジプトのホルス神に酷似していて、天狗イメージの原型でもある。神話時代は蛇龍ナーガ(摩侯羅迦王)と仲が悪かったが今は和解している。

➃薬叉

 元鬼神「ヤシャ(夜叉)」で、災厄を齎す一方安産・治療をもたらしていて、八部衆入会後その特徴だけの薬叉となった。決まった形はなく、憤怒の形相・太鼓腹・半獣だったりする。半獣の薬叉では、増長天の眷属、鳩槃茶という性欲を意味する馬頭人の楽神で、大きな睾丸を持っており、奈良の興福寺の八部衆の薬叉に彼を扱っている。

⑤乾闥婆王

 香りを主食とする穏健派音楽家「ガンダルヴァ」で、インドラに仕え神酒「ソーマ」を守る優雅な飛天で、同じ飛天の女性型「アプサラス」と一緒に表されていた。八部衆に入ってから武装したとされている。

⑥龍王(沙羯羅王)

 水神・龍神の化身で蛇龍の鎧の武人。八大龍王と言われる「難陀」「跋難蛇」「奢伽羅」「和修吉」「徳叉迦」「摩那斯」「阿那婆達多」「優鉢羅」龍王がおり、王権の象徴でもある。

⑦緊那羅王

 美しい声の半鳥人のインドラの楽士「キンナラ」。キンナラ意味は「人か否か」であるという。

⑧天(五部浄)

 筆頭であり、善神の総称の「デーヴァ」のことで、元鬼神や龍以外で帰依したもの達のこと。興福寺の八部衆は、象頭冠をつけた「五部浄」である。

 

<感想>

 特に天平時代の興福寺の「八部衆」の独特性を感じた。ただ、八部衆とひとくちにいっても、中国で考えられ日本にも伝わり、設定上定まっていない又はレパートリーが多いなど、もしかすると真同じの組み合わせの八部衆の姿はいないのかと考えられる。とくに、興福寺の八部衆はキャラ立ちの為に一般的天デーヴァではなく五部浄にし、キャラ濃すぎる鳩槃茶を薬叉の代表にするなど、昔からキャラクター設定・デザインのセンスが日本は高く、ある意味それが現代のキャラクターセンスに繋がっているのだと考える。キャラごとにストーリーや仏教ワールドでの地位・生息位置や性格・ストーリーがあり、興福寺「八部衆」の勉強のためにNHKなどで子ども番組アニメ化したほうが、もっと一般の現代人も身近に感じることができる。