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人間と神魔の関係

 神魔は、人の道具・目的に至る手段として扱われる場合もある、とうことを前提にこの項をはじめていきましょう。

 神魔は、政党の選挙のように主流神話・宗教は動き進化していきます。内閣総理大臣や大統領などのトップの存在の支持率で、主たる政党や○○主義などが政治や国への浸透力に影響するように、神魔もその支持率によってその世界での優劣関係がでていきます。そのため神魔は、その時代その土地ごとに、人間に与える影響力も変化していっています。

 人気のある「神」とよばれている神魔は力を増し、より強力なものになり信仰を深めていきます。そして、人気が落ちるとその効力が衰え、中には姿や能力も変化し、弱体化や悪魔悪霊化することもあります。つまり、自身の生存価値がかかっているので、神魔の人間干渉も楽ではないのです。より自分が優位な地位・キャラで人間を見ていたい(あるいは困らせたい)というような心理状況もあることでしょう。いわゆる、人間によく知られている神魔は、人間に興味がある神魔や人間の生活に入り浸透したいと考える神魔なのでしょう。一方で、人間に興味がないゆえに私たちに知られることのない、まだ神話に登場していない「未知」の超存在が存在している可能性もあるのです

 では、本項は、以下3つの視点で考えていきます。

 

●人間に興味がなく、人には伝えられてないが、実は存在する神魔とは?

 この発想を活用したのが、クトゥルフ神話です。そこで紹介される、宇宙の中で小さな存在である人間に、興味を示さない神々や外なるものなどがこれにあたります。知られていない神魔のほうが、実はかなり強く、超越している存在かもしれません。この考え方により、神魔は、これまでの神話や伝説からただその存在を見つけ出すのだけでは足りないことがわかります。これからも、そういった「人間に興味を示さないゆえに存在を確認できていない未知の実在(?)する神魔」も、私たちが思考や視野を広げて、見つけ出していくことができるのです。これが、人間の多角的な想像活動(創作)につながります。神話や伝説というものは、過去の作品ではないのです。神話は、これからも本来は生成されるものなのですが、現代の人間はそのことに気づかないことが多いのかもしれません。

 

●魔王は本当に神の敵なのか?についての解釈をしてみる

 魔王についての解釈を統合神話学でしてみましょう。唯一神の引き立て役としての魔王や堕天使などは、結局はキリスト教を繁栄させるための大事な仲間・契約関係にあり、裏で同盟を組み自分たちの宗教や思想(世界観)を維持しあうべき重要な存在である、と読み取り直すこともできます。そう、一つの神話・宗教のその世界だけでみれば、その重要な関係性はわからないのです。このように統合神話学の視点でみれば、実際の神話・宗教の中での敵対関係の感情とは全く別で、本当は互いに、その世界観で約束された地位や関係で保とうとする仲が良い状態であることが見えてきます。

 このように、神魔の存在と関係にたいして、考え方や捉え方を変えることによって、よりその神魔の存在や位置関係やキャラを深く把握することが可能になるのです。この多面的で総括的な視点こそ、比較宗教学や比較神話学とは明らかに異なる統合神話学の特徴の一つなのです。

 

●この超存在は神か魔か?は人の認識次第

 もう、ここまで読み進めていったあなたは感じ取っているかもしれませんが、超存在「神魔」が神・魔に変わるか否かは、「人」によって決まります。人の宗教心の量と質で超存在は、自身の地位を作りだし、能力を身に付けていっているのです。

 例えば、人が水と関連づければより水の神格を強めますし、悪・危険と見なせば悪神や悪魔になります。神と言うよりは精霊的なものだと捉える人が強くなれば、それは神ではなく神霊・精霊として変化します。神魔が、人の姿をとるものだと人が信じれば、その超存在は人の形を象るようになります。また、その神魔が動物の姿で人の前に現れたのだと信じれば、それは神獣や魔獣・妖獣などになるでしょう。

 もし、人が新たな神をつくり(イメージし)その姿を信じれば、その神は人の前に現れるでしょう。引き継がれればそれは神話や伝説として長期にわたって、その存在が認識されることになります。また、その存在を忘れればその超存在は力が弱まります。また、別の姿になり新しい神魔と認識されることもあるでしょう。そして、完全に忘れ去られれば、人の世界にその存在を維持し続けることが難しくなり、いつの間にか神魔は私たちの世界では認識されなくなるのです。

 

まとめ

 

 超存在「神魔」は、人の精神によってこの世界に権現します。

 そして、人の支持率・概念で変化しうるという超存在であるのです。人に依存した存在ばかりなのです。もし、人に依存しない超存在がいるとするならば、その存在は、本来人間には神魔として認識することはできないのです。なぜならは、人間に媚をうってこの世界に権現したり人間社会を左右させようなどといった意思や興味は一切わかない超存在であるということを意味するためです。

 

 これらのことから、「存在を認識できない」ことが「存在しない」ことではないということが、統合神話学の概念の一つにあるということが言えることでしょう。